大震災から20日

梅

大震災から20日…今日は私の誕生日です
気がつけば庭に春が訪れていました



※被災地の写真は掲載していません。あまりの光景に撮ることすらできませんでしたから。。。
でも、様子を言葉で伝えています。
読みたくないと思われる方、はこの続きはご覧にならないでください。光景を見た母は気分が悪くなってしまいましたので。
でも、報道されない現状をお伝えしたくて、今日は書かせていただきます。
あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。


庭にも春が

あれから20日もたったなんて、まだ信じられません。毎日何をして過ごしていたのか…
朝起きてストーブをつけ、お湯を沸かすところから一日が始まり、湯たんぽのお湯で顔を洗い… 明るいうちに片づけをして、日が暮れる前に食事の用意。

当たり前の生活が、当たり前ではなく贅沢なものだったと気付いた20日間でした。

仕事に復帰したので通勤だけで倒れそうですが(苦笑)仕事があるだけでもありがたい!と頑張ってます。

通勤でシンドイのは途中通る街の様子。精神的にかなり辛いです。
海沿いは本当にひどくて、報道されないたくさんの現実が目の前に広がっています。
もう20日たつのにそのままの場所も多く、さすがに道路は通れるように瓦礫も車も撤去されてますが、左右の道は見れば涙が出る光景のままです。
国道45号線をバスで通っていましたが、仕事に遅れることもあり渋滞を避け、今は産業道路を車で通っています。

その時に通るのが多賀城市です。仙台市と塩釜市の間にあって、仙台から松島へ行かれる方は必ず通る街です。その多賀城市は、津波で全て流されてしまった南三陸や高田とはまた違った悲惨な光景が広がっています。それも一部だけ…
車のナビの地図を見る限りでは、一部入江になっていたキリンビール工場付近の延長線上の地区が多くの被害を受けたようです。ある橋からほんの2~3キロの幅だけじゃないかと思うくらいです。

もう写真を撮れるような状態ではない光景で…どうしてこんなことになってしまったのか。涙だけが出てきます。
転がったタンクローリー車や大型トラック
アルミホイルをくしゃっとしたように、重なった車の山
フロントガラスが粉々になった車
ひっくり返って建物に入り込んだままの車
松の大木がシャッターをやぶり突き刺さったユニクロ
ガラスが全てなくなって骨組みだけのお店
そして、車に「人」と書かれた文字…おそらく津波直後の捜索で書かれたものではないかと思います。犠牲になった方が中におられたのでしょう。知人の話では「中を見ないでください」と書かれた紙が車に貼られている地域もあるそうです。
信号がついてないところでは、他県からの応援の警察の方が誘導していますが、ところどころ撤去の出来ない車が車道をふさいだままでいます。
津波の威力の恐ろしさ…津波の直後、数日は多くのご遺体が道路やあちらこちらに…とも聞きました。

でも、通らなくては仕事にも行けないので 多くの車が通っています。
20日たっても進まない片づけ。人も重機も不足していて、そして車の持ち主の安否すらわからない状態。
誰がいつどうやって片づけるのか、どうやったら片づけられるのか。
あまりにも大きすぎる被害に人の力の小さいことを実感させられます。

住宅地の被害もまた酷いようですが、そこまで行く勇気が私にはありません。
知人宅は一階が全て流され、もう住める状態ではないそうです。全て流されても、一部流されても、もう住めないのですよね。
避難所もまだまだ物資が不足していたりするようです。 ガソリンも…

たくさんガソリンも物資も送られてきているはずなのにどこに行ってしまっているのか…そんな声をよく耳にします。

みんな頑張っているはずなんですよね。少しずつ何かは良くなっているハズなのに。

私は…なければないで過ごせる生活が身についてきました。
前は絶対これはなくちゃ!と思っていた珈琲も飲まなくても平気です。
音楽だってこれがないと!と思っていたのに、震災後、一度も iPodに触れていません。外の音が聞こえないほうが怖いのです。何かあっても、サイレンがなっても聞こえない、地鳴りも…。
テレビも見たいと思わないし…本も読みたいと思わなくなりました。

少しずつ元に戻り始めている仙台市内を歩くと、ふっと夢だったんじゃないかと思うことがあります。
でも、空は今までと変わらないのに、現実は目の前に広がってるんですよね。
毎日同じことを思い、同じことを口にするけど、前ほどは悲観的じゃなくなってきました。
だって、歩けば進むんですものね、一歩一歩。

今日の写真は震災後、電池を抜く前に一眼レフカメラ(k-x)で撮った庭の花です。
電池は貴重だったので、懐中電灯の予備に使いました。電気が復旧した後も予備電池に使っているのでカメラにはいれていません。でも、いつも持ち出せるようにカメラはカバンに入れてそばに置いてあります。私の大事な財産ですから。
突然撮りたいと思いがあふれた時の為に、そろそろ充電しておこうかなと思います。
まだまだ落ち着かないうちは無理かもしれませんが…

カメラもですが、何もかもが進みつつもあの日で止まっている気がするので
今年は年をとらないことにしました(息子に苦笑いされましたが・笑)
来年の誕生日、綺麗な花を撮れたらいいなと思います。


…また揺れました。
いつまで続くのかな。。。

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コメント

No title

・ mama さん
 ありがとうございます。
 震災の日がお母様のお誕生日だったんですね。
 大変な月になってしまいましたが…皆さんおめでとうございます☆
 松島も頑張ってますよ☆復興したらまた遊びに来てくださいね。

・Taka4さん
 いつもありがとうございます。
 本当に少しずつですが、毎日何かは良くなってると思います。
 以前、仙台にいらした時に行かれた牛タンのお店。
 今日通ったら…お店やってましたヨ。
 またいつか、遊びにいらしてくださいね。

・kaoriちゃん
 いっぱい心配かけてごめんなさい。
 当たり前が当たり前じゃない、普通が「有難い」ものだって身にしみた3週間でした。
 だから「有難いね」って思いながら普通に生活してくださいね。
 私は大丈夫!皆と繋がってるってわかるから^^

・でっぴ夫人さん
 ありがとうございます。
 物資もあまりにも避難所が多かったり、避難所にいられなくて自宅に戻られたりした方が多くて
 仙台市内はだいぶ普通に物が買えるようになってますが…
 全ての人に、となるとまだまだ難しいようです。
 ご親戚が福島なのですね、心配ですね。
 私も弟一家がいます。
 といっても、今は小さな子供がいるので新潟に避難していますが…。
 戻っていいのか、戻らない方がいいのか…日々悩んでいるようです。
 もうすぐ桜も咲きだします。
 チューリップもどんどん伸びています。
 明るい気持ちで撮れるよう、明日も明後日も…頑張って行こうと思います。

・みさみさゆうゆうさん
 素敵なお話、ありがとうございます。 そうですよね、感謝の日ですよね。
 多くの命が失われたこの震災で、命あることを感謝したいと思います。
 亡くなられた方の分も頑張って行かなければなりませんものね。

 

お誕生日

辛い街の状況をお知らせくださりありがとうございます。まだまだ・・・なのですね。広範囲の被害と原発事故。先ほどもまた大きな余震があったようですし 一進一退しているようにも思えるのですが
確実に着実に前に進めていると思いたいです。
息子の幼稚園で お誕生日はプレゼントを貰ってケーキを食べる日ではないんだよ。「お母さんが命をかけて自分を生んでくれた日なの。その事に感謝する日」と子どもたちに教えてくれました。

こんにちは^^

Juli*さん☆
お誕生日おめでとうございます!

そして被災地での現状・・・
遠くにいる私が色々言うことはできませんが(涙)
本当に胸が苦しくなります・・・。
でも、テレビなどで放映されてない現状も
しっかりと受け止めておきたい!
・・・といつも思っています。

物資もまだ不足してるのですね・・・
どういう仕組みで物資が届けられてるのか、
いまだに疑問だらけで・・・もどかしいです。

私の親戚の人たちは福島の原発から微妙な距離で、
非難する圏内ギリギリだとはいえ・・
放射能が目に見えないだけに、
諦めてしまってる感じで・・・
これまたもどかしいです(涙)

Juli*さん・・・
お花の写真って、とっても癒されますよね^^
元気いっぱいに咲いてる黄色いお花の写真に、
なんか力強さを感じます。
笑顔で写真が撮れる日はいつか必ず来ます・・・!



また・・・

今はしんどいよね。気持ちのどこかがいつもザワザワして・・・
こちらは「普通」にすることが一番だなんて
しきりにテレビでも言うし、その通りだと思うけど
「普通」なんて意識してするもんでもないよな、とも思ってみたり・・・
でもまた、写真とか着物とかお酒(…は私だけか)とか
他愛無いことが楽しく思える日は必ずくるよ!!
今は気持ちの冬眠。それでいいよね。

明けない夜はありません

まだ薄暗い陽の中ですが、必ずだんだん明るい日差しが見えてきていると思います、あれは夢だったのかなと思える日が来るのを信じて今を過ごしていきましょう。
来年は笑って、この日を迎えられるように・・・


こんな時ですが.....

お誕生日、おめでとうございます。
実は、大震災の日は母の誕生日でした。
そして父も私も今月が誕生日でした。
今年の3月は我が家にとっても忘れられない年と、なりました。
30年以上前になりますが、親戚が仙台に住んでおり
春休みに遊びに行った時に連れて行ってもらった松島・・・
おぼろげに覚えている情景が、悲惨な景色となってしましました。
苦しいお心で現実のお話しを勇気を持って書いて下さり、ありがとうございます。
来年は、きっと素敵な誕生日になると信じています。
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